文様の歴史 鎌倉、室町、安土・桃山

この記事の目次

鎌倉時代の文様

公家政治が衰退し、武家政治に変わったのが、鎌倉時代です。
源頼朝が平氏政権を倒し,鎌倉幕府を開きました。
この時代の文様には、絵画的なモチーフが多くなってきます。前代である平安時代よりも、写実的な物になりました。

武家の社会らしくなりましたと書かれている資料などを見ると、武家社会がなぜ写実的なのかしらと思うことがあります。

公家社会が貴族の社会で、庶民からすると現実離れしていたのに対し、武家の社会は現実に近い感覚が取り入れられていたのだろうと推測されます。

知的構成文様(ちてきこうせいもんよう)
鎌倉時代に生まれた文様です。
模様の配置がいっぺん通りではなく、工夫され、計算されているものとなってます。

芦手文様(あしでもんよう)
漢詩や和歌の文字をモチーフとした文様です。

室町時代の文様

足利尊氏が京都に幕府を開いたことで室町幕府が始まりました。
文様は平安時代の流れをくむものが多く、また芦手文様がいっそう盛んになりました。
都が京に移ったことにより、繊細な文様が使われています。

唐草の新しい文様
菊唐草、梅唐草、桐唐草、藤唐草などが増えました。

室町時代には、名物裂(めいぶつきれ)が渡来し、新しい文様のついた織物が珍重されましたが、高級であり、また一部の人たちの目にしか触れなかったことから文様としての発達はありませんでした。

室町時代の後期には辻が花染めがみられるようになりました。
幻の辻が花と言われるように、室町時代の辻が花染の実物は残っていません。
現在私たちが、辻が花と呼んでいるものは、一旦なくなってしまった室町時代の辻が花を、文献等を調べて復元したものですが、実際の物と同じものかどうかの判断は微妙です。

安土・桃山時代の文様

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室町時代に衰退した京都西陣の伝統織物は、再び復活します。
安土・桃山時代には、錦、金襴、緞子、縮緬などの製織が可能になり染色技術が発達してきます。
それまで、表面に現れなかった小袖というものが、表面化したことも染色技術の発展に大いに影響をもたらしています。

衣服の文様は四季の草花が多く用いられました。
室町次代の末期にあらわれた辻が花染めは、この時代絞りだけでなく、刺繍、摺箔、色さし等も加えられています。

辻が花は桃山時代に突然に消えてしまいます。
しかし、それを受け継いで、絵画性を持ち多彩になり、次の時代へと受け継がれていくこととなります。

茶の湯、能楽が発達したのも桃山時代です。
能装束にも新しい文様表現が見られます。段替(だんがわり)、片身替(かたみがわり)、熨斗目(のしめ)などの模様付が生まれたのもこの時代です。

時代と共に、多様になっていく文様ですが、古い時代から受け継がれた文様は、新しい時代にも引き続きたくさん用いられています。
引き継がれて、引き継がれて、私たちが今着ている着物の模様として今なお新しい感覚さえ感じさせてくれる文様は、こんなに長い間、多くの女性たちを魅了してきたんだなと思うと、その魅力は計り知れません。

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