文様の歴史 これが江戸時代に初めて現れました。

豊臣秀吉の死後、徳川家康と石田三成が戦った関ヶ原の合戦。
寝がえりや、密告、密通などで、戦の流れが大きく変わった合戦として有名です。
この合戦後、徳川家康は夷大将軍に就くと、江戸に幕府を開き江戸幕府(徳川幕府)の誕生となります。
この時代を江戸時代といい、260年以上続く長期安定政権、いわゆる泰平の世が続いたのです。

江戸時代は町人文化が花開いた時代です。
徳川家康が行った参勤交代の制度により、諸大名は力を押えられてしまいます。
そのため、経済の中心が町人に移っていき、身分にかかわらず財をなす町人が増えてきました。

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時代劇によく出てくる○○屋は、商売のよって財をなす町人で、お金があることによって町人が力を持っていた時代をわかりやすくあらわしていますよね。

また、鎖国により閉ざされた国となった日本の中で独自の文化が生まれたのも江戸時代の特色です。

江戸時代の文様や服飾には新しいものが多く見られます。
友禅染が出現したのは江戸時代です。
扇の絵師であった、宮崎 友禅斎が扇絵や小袖の雛形描いたことから友禅の名の基になりました。

琳派の画家、俵屋宗達(たわらやそうたつ)、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、尾形光琳(おがたこうりん)、酒井抱一(さかいほういつ)らが、絵画だけでなく陶器や蒔絵などの美術工芸や小袖にも文様を残しています。

江戸時代の文様

慶長模様(けいちょうもよう)
桃山時代後期から江戸時代に現れた模様です。
別名、地無し模様(じなしもよう)と呼ばれるこの模様は、布地一面に刺繍や摺箔で地が見えないほどに埋め尽くされています。

寛文模様(かんぶんもよう)
絵羽模様の原型と言われる寛文模様は、肩から裾にかけて文様が施されています。お金持ちになった町人がお金をかけて作らせたものと言われていますが、経済ひっ迫のための手段とも言われています。
寛文模様が生まれたことにより、帯をつける着物姿の模様構成が出来て、新しい文様の形が生まれました。

元禄模様(げんろくもよう)
元禄、宝永年間に流行した模様を元禄模様といいます。
大型の格子(こうし)や石畳(いしだたみ)、鹿子(かのこ)、槌花(つちはな)などがそれにあたります。この時代のあらゆる文様が大胆にデザインされ、小袖文化が築かれていきました。

お金持ちの商人が金にものを言わせて作らせた小袖は、たくさんあり、文様も絢爛豪華になりました。

今現代のきものは、その時代の背景によって生み出され、その文様が受け継がれてきています。伝統の文様は今もなお私たちの着物を美しく彩っています。

江戸時代、小袖の発達とともに、帯が表に出てきます。
実は、お太鼓結びが生まれたのは江戸時代の末期です。
私たちが着物を着る時、結んでいるお太鼓結びも、その時に使う、帯揚や帯締も生まれたのは江戸末期。深川の芸者さんが、考案したとされています。

一般の女性の間に広まったのは明治の後期になってからです。
お太鼓結びの歴史はあんがい浅いものなんです。

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