着物の歴史

着物の歴史は、服装史を学ぶと見えてきます。
人類は猿人(アウストラロピテクス)から始まり、原人(ホモ・エレクトス)、旧人(ホモ・ネアンデルターレンシスなど)を経て、新人(ホモ・サピエンス)と進化をしてきました。
2本足歩行になり、身体を覆っていた毛がなると、暑さや寒さ、怪我などから身体を守るため、体にまとうものを調達するようになります。

縄文時代には、しゃけ等の大きな魚の皮や、獲物の獣毛、樹木の皮等を身にまとったのが、衣服の始まりです。農耕が発達すると繊維が生まれます。その繊維を組み合わせる織物が定着していきます。

女王卑弥呼の邪馬台国が存在したと言われる弥生時代の「魏志倭人伝」には、男子は袈裟衣(けさい)、女子は貫頭衣(かんとうい)を着用していたことが残されています。

貫頭衣は、大きい布の真ん中に穴を開けて、そこから頭を出して着る服です。てるてる坊主のようだと思った記憶があります。
袈裟衣は、1枚の布を肩からかけて前で結び、もう1枚の布を腰に巻いて前で結んで着る服です。インドのサリーと似ているなと思いました。個人的な感想です。

古墳時代は、たくさんの土偶やはにわから、その衣装が伺えます。
男子の衣袴(きぬばかま)、女子の衣裳(きぬも)に見られる衿の袷は左衽(さじん)でした。現在とは反対の打ち合わせです。

飛鳥・奈良時代に遣唐使、遣隋使の派遣により、文化の中国のものが入ってきました。男性は衣(きぬ)に袴(はかま)、女性は衣に裙(も)をつけました。
奈良時代に、衿の合わせ方が、現代の右衽(うじん)にかわりました。

平安時代の衣装は十二単衣と束帯が有名ですね。これは公家の晴装束です。
現代では、結婚式に着るカップルも割と多くいらっしゃいます。
十二単衣は実は略称で、正式には唐衣裳装束、女房装束といいます。

鎌倉・室町時代には武家が力を持ちます。武家男子の直垂(ひたたれ)、女子の衣袴(きぬばかま)が代表的な衣装です。
この時代、下に着られていた小袖が表に現れてきます。この小袖が現在のきものの原型です。

安土・桃山時代には、染色技術も大いに発展して小袖の模様が豪華になってきます。男性は、鎌倉・室町時代に生まれた肩衣袴(かたぎぬばかま)、女子は打掛姿(うちかけすがた)、腰巻姿(腰巻姿)です。
辻が花染めが生まれたのもこの時代です。

江戸時代は、時代劇などで見られるように、現代の着物と形はほとんど変わりません。小袖に締めるものとして、今までなかった帯が生まれます。

明治時代になると、文明開化の影響で洋服が着られるようになってきます。
大正、昭和と着物姿が少なくなり、現代の平成になっています。

きもの

豪華絢爛なものが、徐々に簡素化されていき、現代の着物になりました。シンプルになったおかげで、私たちは今、着物を楽しむことが出来ています。
それでも、自分で着るのはなかなか難しいですし、着せてもらえば、着付け代は安くはないでしょう。
たくさんの人が、自分で着物を着れるようになってほしいし、着物を着る機会をたくさん作りたいです。

そのために、自分に何が出来るか、そんなことを日々考えて暮らしております。

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