文様の歴史 平安の時代に現れた文様

都を奈良から京都の平安京に移した794年から1192年までの間の平安時代と言われるこの時代にも、新しい文様が現れています。
前期と後期では、文化が大きく違います。平安時代の前期100年ほどは、引き続き唐の影響を受けていた時代です。
その後、文化は大きく変わり、国風文化が台頭します。

国風文化を代表するものとして、平仮名や片仮名を使った文学作品があります。
女性文学や日記も多く残され、紫式部「源氏物語」、清少納言「枕草子」、藤原道綱母「蜻蛉日記」、菅原孝標女「更級日記」、和泉式部「和泉式部日記」などが、有名です。
また、竹取物語、伊勢物語、なども作者不明ではありますが、平安時代の文学作品です。

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仏具や調度品、経巻などにたくさんの文様が施されました。写実的なものがあらわれてきたのもこの時代からです。自然風景なども写実的に描かれ、新たな文様として残されています。

有職文(ゆうそくもん)

唐風文化を脱したことにより、貴族の装束が大きく様変わりします。貴族の装束や調度品に用いられた文様が有職文とよばれる文様です。
たくさんある有職紋ですが、代表的なものをあげてみます。

亀甲文(きっこうもん)
正六角形の幾何文様です。上下左右に亀甲をつなげた亀甲つなぎが多く用いられます。
亀甲の中に他の文様を組み合わせたものも多くあります。

立涌文(たてわくもん)
曲線が規則正しく立ち並ぶ文様です。
波や藤、雲と組み合わせた、波立涌、藤立涌、雲立涌等もあります。

七宝文(しっぽうもん)
同じ大きさの円を4分の1ずつ重ねて四方に連続した文様です。
七宝つなぎ文、輪違いつなぎ文とも呼ばれます。

菱文(ひしもん)
幾何構成文様の一つです。横長の菱形が多く使われます。
菱の中に他の文様を組み合わせた、唐花菱、向蝶菱、向鳥菱、入り子菱、幸菱等などがあります。

襷文(たすきもん)
直線の菱格子の幾何構成文です。
他の文様を組み合わせた、鳥襷、松葉襷、三重襷、菱襷などがあります。

石畳文(いしだたみもん)
正方形の四角を並べた形です。
霞文とも呼ばれ、窠文と組み合わせて装束に用いられました。

窠文(かもん)
瓜を輪切りにした形を文様にしたという説があります。
窠に霰(かにあられ)は石畳文と窠文を組み合わせた文様で、装束の袴に使われました。

小葵文(こあおいもん)
花文を規則正しく並べた文様です。
童直衣などに用いられました。

唐草文(からくさもん)
唐草と他の文様を組み合わせた、牡丹唐草、唐花唐草、竜胆唐草、等があります。
装束文としても使われました。

鳳凰文(ほうおうもん)
実際には存在しない、想像上の動物で瑞鳥とされます。

桐竹鳳凰文(きりたけほうおうもん)
鳳凰は霊鳥で、桐の木に住んで、竹の実を食べるとの伝えがあります。
桐と竹と鳳凰を組み合わせた文様です。
麒麟と組み合わせたものを、桐竹鳳麟文(きりたけほうりんもん)いいます。
格調高い文様です。

雲鶴文(うんかくもん)
雲の中を飛んでいる鶴を文様にしたものです。

平安時代には、それまでの文様が日本的なものに変わっていったと言われています。
染色技術も発達し、装束の装飾性がより高められました。

貴族の優雅な暮らしが想像できる資料や、文献が多く残されていて、平安時代は雅な時代だと頭に浮かびます。いにしえに装束や調度品につけられた文様が、今の時代にもたくさん使われていて、なおかつ古さなど全く感じずに使えているのには、なんだか不思議な感じがします。

着物の柄で好きなもののなかには、平安時代の有職文がたくさん含まれます。
時代はつながっているんだなと着物を見る度に思います。

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